閉じる日々

Twitterをだいぶん前に辞めた。


自殺未遂後から頭の配線がぐちゃぐちゃしやすくなった。Twitterを開くと大量の情報が一気に入ってきてしまってとても混乱してしまう。


それに哲学対話で知り合った人のツイートを見るのもきつい。もう、四ヶ月も前のこと、きっとほとんどの人が忘れてるのに、哲学対話の問題提起のことがいまだに私の中では膿んだままでいる。


さっきたまたま今年の「哲学プラクティス」の内容をみて、またぐったりしてしまった。今年は「傷つき」や「安心安全」について話し合うとのこと。パソコンモニターの明かりが変にチカチカしてる。


やっぱり、今はとにかく一人静かに、編み物、読書、フェルデンクライスなんかに取り組んだ方がいいなと思ってモニターを閉じた。

8月18日

8月18日

今日も朝からどんよりした天気。ずっと低気圧が続いてるせいで、最近体が重くて仕方がない。

 

午前はメンタルクリニックの予約が入っていたので、家で休んでいたい気持ちを振り切り、地下鉄に乗り込んだ。電車が数分数分毎に駅に着くたびに、大量の人々が吸引されるように乗り込んでくる。体調の悪い時は、人の密度が高くなるにつれて呼吸がしにくくなってしまうので、イヤホンでできるだけアップテンポの洋楽を聞いて気を紛らわせてた。

 

メンタルクリニックの診察室で、パソコンモニターの向いにいる医師に、最近の体調を報告する。開け放たれた窓から部屋に充満する道路の喧噪に声をかき消されないように、医師が打つキーボードの乾いた音を聞きながら、いつもより少し大きな声で話をした。

 

「では」と、医師が初めて私のほうに体を向けた。

「いつもの薬を出しておきますので」

あんまり今の薬が効いているのかもわからなかったけど、どれも飲んでも一緒だろうという諦めもあり、「ありがとうございました」と黙って診察室を出た。

 

待合室で会計を待っていると、診察に入る前よりずっと気分がふさぎ込み、勝手に涙が溢れてきた。診察室で「集中治療室で意識のなかった3日間が一番幸せだったと思います」とネガティブなことを口にしたのが良くなかったのかもしれない。ついさっきより、私の背後に死が寄り添って、死ぬことしか考えられなくなってしまった。帰り道にあったドラックストアの鎮痛剤や風邪薬のコーナーに直行し、ラベルを片っ端からチェックする。60錠1500円、60錠1890円・・・。しかし、今これを沢山購入してもホテル代が余らない。あの日から私はクレジットカードもキャッシュカードも取り上げられていて少しの現金しか持たされていないのだ。諦めて店を出た後も、私の頭は死ぬことから逃れられないでいた。もうこうなったら、考えないようにしよう!ということは私に通じない。本当は、道に蹲って大声で泣きたい気分なのだけど、変に頭は冷静で、いまだ黙々と死についての計画が練られている。

 

地下街の人込みに紛れながらも、このまま私の足がひとりでに死に向かっているのではないかと不安になり、とりあえず目に入った雑貨屋さんに飛び込んでみた。お行儀よく陳列された色とりどりのアクセサリーに照明が反射してまぶしかった。ふと目前にあるピアスに手を伸ばすと、ほんの少しだけだけど死が遠のいてくれたから、そのまま20分ほどピアスを真剣に物色し、一番かわいいピアスを買った。店先で大急ぎで包装紙を開けてピアスを付けてみて、手鏡をのぞき込む。小さくゴールドに光ってるピアスが耳元で揺れるのを見ていると、今日は何とか生き延びられそうな気がしてきたので、そのままいつもの病院に行って痛み止めの点滴を打って帰った。

8月14,15日

8月14日

ここ3日ほどずっと雨が降っていて体が痛い。向かいのマンションが、白くかすんで見えるほどの大雨だ。低気圧が近づいてくるだけで、私の頭はどんよりし、背中や腰などが痛みだす。もう12年もこの症状と付き合っていて雨の日はエンジンがかからない。

 

かなり初心者でも受かると噂されている、あるペット系ウエブメディアのライターに応募していたのだが、昨日不合格のメールが届いていた。気合いを入れた力作だったのだがなぜだろう。ああいったスマホでサクサク読めるメディアには合わない文章だったのかもしれない。どちらにしろ、治療費や将来に備えて何とか稼がなければならないのにショック。

 

朝、ライターに落選してしまったことから、仕事どうしようと不安になりだし、更には将来の一人暮らしがこんな体調なのにうまくいくだろうかと不安が不安を呼んで、また胸がひりひりしだしてきつかった。

 

もともと私の家は重度障害の家族を抱えながら生活し、互いの密度が高かった。自分で何もできない伯母を祖母が中心に介護してしていくうちに、みんなが互いの顔色を伺いながら先回りして行動することがルールになっていた。みんなが自分がしたいことを抑え「あなたのために」先回り行動をしていると、その分相手への期待が強くなって、いつの間にか誰かが誰かを支配する関係に代わってしまう。最も一番支配されていたのは一番立場の弱かった伯母だった。

 

4年前に伯母が亡くなって、いつの間にか伯母のポジションが私が入っていた。家族はみんな私のために手助けしてくれている。しかし、それが私の境界を踏み越えて自由が阻害され息が詰まりそうになる。

 

病気で無職で一人暮らしするので、生活保護を受けたいのだが、生活保護での生活というのはとても大変だと思う。そもそも役所に何度か相談しても、冷たくあしらわれていて貰えるかどうかもわからないのだが。

 

先を少し覗いてみると真っ暗で、足が竦んでしまってどう動けばいいのかわからなくなってしまう。

 

 

8月15日

 

最近少しメンタルの調子が落ち着いてきたと思っていたのだが、昨夜、母の何気ない一言でまた過去に引き戻されて、自殺未遂前に感じてた逃げ場のない切羽詰まった恐怖感に襲われた。

 

胸のあたりが一気に苦しくなり詰まってきたと思ったら、その詰まりがどんどん喉のあたりに上がってきて、それが涙となって堰を切ったように流れ出てきたので、自室にこもってティッシュで鼻水をかみながらベッドに蹲っていた。

 

モネは最近、私が泣き出すとすぐ膝に来る。昨日も私が泣きながら自室に篭ろうとすると一緒に入ってきていつものように膝に乗った。不思議と少し重くて暖かいモネが膝にどっしり乗ってると、「今ここ」に私は戻ってきて、徐々に呼吸が落ち着き泣き止むことができる。その後、母が部屋にプリンとコーヒーを持ってきたので、食べたら何とか落ち着いて、寝込まずに済んだ。

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某メンタリストの炎上から

自室で勉強していると、伯母の泣き叫ぶ声がして思わず体に緊張が走る。続いて祖母のヒステリックな声と、伯母を叩く音。うるさくて勉強どころではなくなり、そっとリビングの扉を開けると、ガラスが割れんばかりの泣き声が耳の鼓膜をびりびりさせた。伯母がかんしゃくを起こすといつもこう。彼女は重度心身障碍者で、定期的にかんしゃくを起こしていた。体を自由に動かすことのできない伯母のお風呂、トイレ、ごはん、全ての介護を担っていた祖母はいつも追い詰められ不機嫌そうだった。今でいうところの介護ノイローゼという状態なのだろう。伯母がかんしゃくを起こすと誰がどう宥めようが手に負えなくなっていた。どんどんエスカレートする泣き声に、祖母も自分のコントロールを失って、つい手が出てしまう。子供だった私は、伯母の泣き声と、祖母が伯母を叩く音を体中に浴びながら部屋の片隅でただただ小さくなって体をこわばらせることしかできなかった。

 

16の時、私は高専の土木工学科に進学した。土木工学は親の勧めであり、あまり気乗りしないものであったのだが、先生たちが入学直後から繰り返す言葉に鼓舞されて、急に勉強に打ち込むようになった。「あなた方は、この国を担う立派なエンジニアになるのです!」、その言葉は無力で何もできずにいた子供の私に急に価値を与えてくれた。こんな私でも立派に、役に立つ人間になれるのだ、と。おかげで高専の頃の成績は常に上位で皆から一目置かれていた。

 

その頃だっただろうか、急に伯母は生きている価値があるのだろうか、と考え出した。それと同時に、とてもやばいことを考えているのではないかと思って、大急ぎでカウンセリングというものに行ってみた。はじめてのカウンセリングで、斜め向かいのソファに座ったカウンセラーに「伯母って生きている価値、あるんでしょうか」と問うてみた。彼女はとても困った顔をして「それは・・・あると思うよ?」と答えただけだった。私は彼女の表情を見て、二度とこの話は人にするまいと決意した。

 

今考えると、私はあの時、不安の塊だったのだろう。急に自分が役に立つ人間だと錯覚し始め、そうでない伯母を見下した。人間の命に価値を付けることによって自分が優位に立ち不安を打ち消したかったのだ。

 

マーティンルーサーキングジュニアの師であったモアハウス大学のジョージケルシーは人種差別を一つの宗教であると批判する。

「信仰としての人種差別は偶像崇拝の一形態である。というのは、人種差別は人間的な要素を究極的なもののレベルにまで引き上げるからである。人種差別の神は人種であり、それが価値の究極的な中心なのである。・・・・人種差別者にとって人種とは決断や行動の最終的な典拠であり、人種という基盤の上に私生活、公共の制度や政策、そして宗教制度すらも形成されるのである。・・・」

 

多くの人が昔から行っている、人の命に価値を付け序列をつけたがる行為も宗教と同じではないだろうか。私たちはただ生まれて死ぬだけで、「価値」というのは社会の作った概念にすぎない。しかし、心の不安を解消するために、人の命を価値という定規に照らし合わせ、何とかして優位に立とうと試みる。そんなもの、社会の外側に放り出されてしまえば意味がないことなのに。今も多くの人が入信していることも気づかずこの宗教を信仰している。

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8月10日、11日

8月10日

今日もいつも通り6時半に起きてモネの散歩をした。モネはここ最近アーモンド状の大きな目を以前のように私にまっすぐ向けるようになった。自殺未遂をしてからしばらくは、私の挙動を逐一伺うかのように、上目遣いで不安そうな目を私に向けていた。

 

昨夜、ポストフェミニズムに関する文献をベッドの上で読み漁っていていると、リビングにいたモネがベッドの上にやってきてクッションに体をもたせ掛け寝始めた。少し前まで必ず私のどこかに体をくっつけてきたのだが、離しても眠れるようになったようだ。

 

少なくとも「今は」「居なくならなさそうだ」と感じているのかもしれない。

 

気持ちがふさぎ込んでモネに前のように話しかけることができなくなっていたのだが、ここ数日はまた話しかけられるようになっている。モネは、話しかけている最中、私の目をまっすぐ見つめ首を傾げて懸命に何かを捉えようとしている。私が一方的に話して、モネはひたすら首を傾げてて、互いに意味は分かってないのだけど、これもとても大事な時間だったのだと気づく。

 

8月11日

今日は朝10時からフェルデンクライスメソッドの個人レッスン(F1)を予約していたので、自転車を隣の駅のほうまで走らせる。コロナが流行ってから、家族からの規制がとても厳しくなって、コロナになるからあれに行ってはダメ、これに行ってはダメ、と言われているうちに、結局私が行ってもいい場所は病院だけになってしまった。フェルデンクライスについても、感染症の心配をされ不穏な空気が流れていたのだが、先生がマスクをしているということを確認して何とか承諾を得ることができた。

 

『身体はトラウマを記録する』に書かれていたトラウマ解消の方法の一つにフェルデンクライスメソッドが言及されており、去年の夏から音声をダウンロードして少しずつやっていた。フェルデンクライスなら寝たまま、もしくは椅子に座ってできるので、体中が痛い私でも続けられ、病人にとってはとっておきのリハビリだと思う。音声を聞きつつ、体のいろんなところを痛みがでないよう小さな動きで動かしてみる。もし痛くて動かせなかったら想像するだけでも筋肉は動いているらしい。毎回終わったら、床に寝転んで体の具合を観察するのだが、背中がいつもより床にくっついて、首の後ろのカーブが緩やかになっている気がする。私はいつも寝転ぶと背中のあちらこちらが床から浮いているのだが、レッスンをすることによって、緊張して縮んでいた体がほぐれてフラットになっているのだろう。その後立った時には足が床にしっかりついて、背が高くなっている気がする。それに一時的にではあるのだが、痛みも少し緩和する。

 

個人レッスンはちょっとお金がかかるけど、自殺未遂後の不穏な流れを変えるために何かがしたかった。カウンセリングのような言葉を介した方法ではなくて、身体からアプローチすることによって何かが変わらないかと考えたのだ。

 

 

会場について先生と状態を話ししてから早速ベッドに横になった。F1では先生が体を押したり動かしたりするけど私は力を入れたり動かしたりする必要がないらしい。ただされるがまま、先生の手に体を委ね1時間の施術を受けた。

 

終わった後ベッドに座ってみるよう促される。座ると座骨がしっかり床にくっついて、胸がさっきよりずっと開いていることに気づいた。頭部が軽くなって、首から背骨を意識せずともまっすぐにして座ることができる。隣で観察していた先生は「さっきよりずっと姿勢がよくなったわね」と言った。

 

いつもオイルが切れたロボットのように体中の関節が動きにくいのだけど、立って歩いてみると、腕や股関節が滑らかに動いていることに気が付いた。それにいつも胸が苦しくて息が吸いにくいのだけど、胸が開いたことによって自然に空気が沢山体に入ってくる。背も明らかに高くなった。一回の施術でこんなに変わるとは思ってもみなかった。

 

来週のATM(集団でするレッスン)を予約してお代を払って会場を後にした。自転車のペダルをいつもより軽い力で漕ぐことができる。台風の影響でやたらと風が強く天気もどんよりしていたのだが、以前よりずっと自由に動くようになった体を吟味しながら漕いでいるうちに、自殺未遂後からずっと続いていた切羽詰まった感じがいつの間にか消えていることに気が付いた。たとえどんな状況でも体の自由を手に入れたならば絶望する必要はないような気がしてきた。

 

 

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8月9日

8月9日

ひどい頭痛がして朝4時くらいに目が覚めた。背中や肩に鋭い牙が食い込んでいるような感じがする。きっと台風のせいで痛みが悪化しているのだろう。

 

モネが私の左の二の腕に顎を載せて寝息を立てていたので、そっと彼のほうに背中を向け、痛む背中とモネの体を密着させた。こうするといつも、モネの穏やかな息遣いや、熱いくらいの体温が背中越しに伝わってきて、痛みを少し緩和してくれる気がする。

 

近々私は一人で暮らす予定なのだが(うまくいけばの話だが)、モネと離れないといけないということを考えただけで気がおかしくなりそうだ。将来のことや、病気の不安に飲み込まれそうな時でも、モネが部屋でゆったり休んでいる姿を見るだけで、何とか溺れずに済む。痛みでほとんど眠れず、ひたすら寝返りを打ち暗闇を見つめるしかない夜でも、モネと布団の中でくっ付いているだけで、こういう日もあってもいいんじゃないか、という気持ちにしてくれる。

 

自殺未遂してから、やっぱり友達がいたらなと思うことが多くなった。病気になってしばらくは学生時代の友人とたまに会っていたのだけど、毎日会社に行ったり、大学院に通って生き生きしている彼らと、病気で家にばかりいる私は、あまりにも非対称でだんだん話ができなくなっていった。私は徐々に点滴に通うのが忙しくなり、痛みとだるさで人と会うのも億劫になった。同時に彼らからもパタリと連絡が来なくなった。それから誰にも連絡を取ってない。別に、深刻な悩み相談をするっていうわけではなくて、ちょっとしたことを話せる友達がいたら少し風通しがよくなるのではないかと思う。

 

カウンセリングを自殺未遂後2回ほど受けたのだけど、やっぱり値段が高くて続けられそうにない。もちろん健康な人でも手探りで試行錯誤しながら生きているのは知っているのだけど、今は生き延びるのをちょっとでもいいから手伝ってくれる人がいたならと思う。

 

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8月3日~8月5日

8月3日

とても調子が悪かった。夜、ほんの少しの音や声が聞こえただけで、体があの日に戻ってしまう。体がこわばって動けなくなった私は、両手で二の腕をさすってみた。自分で自分をハグすると落ち着ちつきます、と何かの本で読んだからだ。でもやっぱダメっぽい。背中や眉間や足などあらゆるところが緊張してきて、部屋の空気が停滞しどんよりしてくる。部屋を完全に閉めてしまって、まるで猫に追い詰められたネズミのようにびくびくしながらベッドの上でうずくまった。音が聞こえる度に背筋に戦慄が走って呼吸が早くなる。こうなると息をいくら吸っても吐いても、呼吸の音がむなしく部屋に響くだけで、体に空気が入ってこない。丸めた体を自分でさすって落ち着こうと試みるのだが、とにかく怖くて仕方がない。あのハリーハーロウが実験したアカゲザルもきっとこんな気持ちだったんじゃないか。

 

とにかく落ち着こう、小さく丸めた体をほどいてベッドに大の字になってみる。spotifyで好きな洋楽を流して部屋に充満させてみた。ゆっくり吐いて、吸って、またゆっくり吐いて、吸って、お腹で息をするように。1時間ほど経っただろうか。少し恐怖感が薄れたので温かい紅茶を入れた。口に紅茶を含んでゆっくりゆっくり飲み込むと、喉から食道、そして胃が温まってくるのがわかる。少し落ち着いてきたようだ。寝る前の薬を飲んでその日は早めに就寝した。

 

8月4日

目覚めの悪い朝。何とかモネの朝の散歩を済ませて、ウサギの小屋の掃除、洗濯ものなど雑用を開始した。いつもよりずっと体が重くて怠くて、タオル一つ干すのもおっくうだ。昨日のように自分が過去に帰ってしまうと、次の日からしばらく体調が悪化する。

 

今日は午前に病院の予約が入ってた。手際よく家事を済ませてさっさと地下鉄に乗り込まなければならないのだが胸がすごく痛くてやっぱり息が吸いにくい。しかも体中ガチガチでだるくて仕方ない。このまま電車に乗り込むことは不可能だ。病院に電話すると少し遅れてもいいとのことだったので、Youtubeで短いフェルデンクライスメソッドの動画を一個探してやってみた。フェルデンクライスが少し効いて、体の力みが若干抜けた。

 

その後大急ぎで家を出て、カンカン照りの太陽に負けてしまって立ち止まらないように、とにかく速足で駅まで向かった。

 

病院には母も付いてきた。母は、私が自殺未遂してからずっと仕事を休んでいる。病院にもよく付いてくる。きっと私がまたあんなことをしないか不安で仕方がないのだろう。母はあれからよく泣くようになった。最近初めて精神科に行って、抗うつ剤をもらったらしい。

 

帰りにまたなぜか悲しくなってしまって泣いてしまった。すぐに泣き止んだのだけど、次は急にイライラして、全身がささくれ立ってひりひりする。胸が一層苦しくて、何かに追い立てられているような焦る気持ちが湧いてくる。母と今後のことを話していると、やっぱりイライラが抑えられなくって怒ってしまった。泣いたり怒ったり、胸が痛かったりひりひりしたり、いろんなことに振り回されて耐えられない。今すぐ走り出して逃げ出したい気分になってくる。帰って頓服を飲んで、その後はずっと寝ていた。モネも足元でずっとくっ付いていた。

 

8月5日

今日も、朝からひりひりする。モネの散歩中、公園に行くまで乱立している色んな高さのマンションの屋上を眺めながら、どれくらいの高さから落ちたら死ねるだろうと思案する。でもやっぱり飛び降りはとても怖そうだ。想像しただけでぞっとする。この方法は今の私には向いてない。

 

帰ってモネの爪を切ったり、ブラシをかけたり、歯を磨いたりしていると、呼吸が次第に穏やかになっていくのを感じた。ここ3日ずっと痛かった胸がほんの少し楽になって久しぶりに息が吸えたような気分。

 

家事を少しして、フェルデンクライスメソッドを2つする。終わった後、胸郭が柔らかくなって意識しなくても空気が自然に体に入ってきた。体のささくれも落ち着いてひりひりした感じもずっと良くなった。

 

でもやっぱり夕方母とまた対立した。これからのことで。私もどうしていいか分からず混乱する。

 

夜、 プレイディみかこさんの『女たちのテロル』を少し読む。「わたしはわたし自身を生きる」というのはこの本に出てくる金子文子の言葉だ。私は全然私を生きれていない気がする。しがらみばっかりの人生を送っている気がする。

 

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