閉じる日々

Twitterをだいぶん前に辞めた。


自殺未遂後から頭の配線がぐちゃぐちゃしやすくなった。Twitterを開くと大量の情報が一気に入ってきてしまってとても混乱してしまう。


それに哲学対話で知り合った人のツイートを見るのもきつい。もう、四ヶ月も前のこと、きっとほとんどの人が忘れてるのに、哲学対話の問題提起のことがいまだに私の中では膿んだままでいる。


さっきたまたま今年の「哲学プラクティス」の内容をみて、またぐったりしてしまった。今年は「傷つき」や「安心安全」について話し合うとのこと。パソコンモニターの明かりが変にチカチカしてる。


やっぱり、今はとにかく一人静かに、編み物、読書、フェルデンクライスなんかに取り組んだ方がいいなと思ってモニターを閉じた。

8月29から9月1日

8月29日

昨夜、アマゾンで注文してた編み物キットが届いた。初心者向けのキットで「ガーター編み」という編み方さえマスターすればハンドウォーマーが編めるもの。

 

さっそく付属の冊子や、ネットの動画を見ながら、ぎこちなく手を動かす。動画ではサクサク、いとも簡単に編んでいるのだが、まずこの糸を引っかけて、手をこう動かして、針をここに入れて・・・と、やっているうちに手が攣りそうになってくる。一段目なんて5分でできるだろうと高をくくっていたのだが、私が編んだものはなぜか目の形が見本と全然違う。もう一回仕切り直し。全部解いて、またやってみて、ああ、また違う、全部解いて、またやってみて・・・やり直す度に強くなる目の奥の鈍痛。だんだん首や肩も痛くなる。ちょっと姿勢を変えて、首や肩を回した後もう一回。

ああ、やっぱりできない!!何度も解いているうちに毛糸がバサバサになって余計に編みにくくなってきた。イラ!っとして編み棒を放り投げたくなる。もうちょっと、もうちょっとと続けているうちに、肩や首の痛みに耐えかねて白旗を上げた。結局1段目は編めなかった。しばらく目を皿のようにして編んだものを凝視していたのだけど、やっぱり何が悪いのかわからない。昨日は結局わからないまま就寝。

 

今日の午前、また毛糸玉と編み棒を用意してリベンジ。今日こそは、と意気込んで動画とにらめっこしながらその通りに手を動かしてみる。やはり違う。また糸を解いて、違う動画を見ながら編む。やはり何かが違う。首と肩が詰まってきて、また編み棒を放り出したくなってきた。一旦深呼吸して、肩の力を抜いてみる。また糸を解いて、動画を見て、何度も何度も繰り返して1時間くらいがたったころ、「ああ!こうか!」。やっとサクサク編めるようになった。1段目を編めるようになるまで、3,4時間は費やしただろう。

2段目以降はそこまで躓かず編むことができた。とりあえず4センチ角くらいの四角を編んだつもりだが、見本とはえらく違う。角が全然角ばってないし、途中何度も編み方を間違えているせいかぐちゃぐちゃだった。とても人に見せれるものではない。

 

モネの洋服を今年12月までに編めたらと思い始めたのだが、初っ端からかなり頓挫している。編み物は私が最近考えた「生き延びる戦術」の一つ。ずっと編み物を続けて「この服を編むまで生き延びよう」と死を後手後手にしてたら二回目の自殺を防ぐことができるのではないかと思っているのだけど、この調子だったら、モネの服を編み終わるまでに寿命が来るのではないかという懸念もある。

 

まだ慣れてないせいか、1時間も編むと肩や首の筋肉が張って痛みが出てくる。集中しているうちに肩がどんどん上がってしまうのがよくない。途中イラついたせいか息も浅くなっていた。何分か置きに自分の体のチェックを忘れないようにしようと思う。

 

しかし、編み物をしている間は、いつも私を振り回す過去や将来がむくむくと私を包み、気分が不穏になることは一度もなかった。最近一番困っていることは、あの時、急に祭司かレビ人のような顔をして去っていったあの人のことが脳裏に浮かんでしまうことだ。あの人が抉った胸の傷口がずきずき痛くてとても苦しくなる。でも、あの人は編み物中登場しなかった。

 

編み物とか野口整体とかフェルデンクライスばかりして、全然仕事をしようとしていない。クラウドワークスで「ライター」「書き起こし」など毎日検索してはいるものの、説明を読むだけで「応募する」ボタンをいまだ押せないでいる。母は私が自殺未遂した6月からずっと仕事を休んでいてお金がつきないか心配だ。自殺する前は、治療といえば点滴だけ、一回800円で済んだのだけど、今はそれよりずっと治療にお金をつぎ込んでいる。全然先の見えないトンネルで車を走らせているような気分。ああ、また空気が重くなって胸が苦しくなってきた。夜、またガーター編の練習をしよう。

 

8月30日

朝いちに漢方クリニックに行ってから、点滴へ。母は点滴が終わるころいつもクリニックにやってきて、ロビーの椅子に座っている。私が家に帰ってこないのではないかといつも不安そうにしている。

 

母が作ってきたお弁当を飲食スペースで食べながら「やっぱりHさんと、会って話したい。感染リスクが心配なら一回フェルデンクライスを休んでもいいから・・・・」とずっとつかえていたことを思い切って切り出してみたものの途端に母の顔色がさっと変わる。

「それでお母さんがコロナになったら今の治療もできなくなるんよ!?」

「みんな会うの我慢してるのに、なんで今会いたいの!?」

 

いつもはここで私が譲歩するのだけど、「でも、そうやって人と会うのを控えてたら友達がいなくなってしまうから・・・」と、もう一押ししてみる。

「本当にHさんは友達なの!??大分Hさんにコントロールされてるわ。その人から連絡が来るまで落ち着いてたのにまたおかしくなってる!」

母も一歩も譲らず私に押し返してきた。

 

 

母は私が、母の期待通りに動いていると安心する。しかしそうでなかったら、私が外部の人間に”コントロールされている”、”洗脳されている”と憤る。今回もそのパターンだった。いつも自分の延長線上に私がいて、そこから一歩でも外れようなら動揺しだす。お弁当を食べていると横から鼻をすする音が聞こえてきて、母は涙を拭きながらお弁当を食べていた。

 

大体なぜ友人と会って話すだけでここまで言われないといけないのか?感染症の時代はみんなこんなに親と衝突しながら人と会っているのか?抑えていた感情がぐんぐん頭から噴き出してきて、イライラが止まらなくなる。結局今回も衝突して喧嘩になった。

 

帰りの電車でまた死の影が私の背後からジワリジワリと近づいて、窓から色んな高さのビルの屋上をじっくり眺めて帰る。今日から生理が始まって、とにかく眠くてだるくて今はとてもできそうにない。眠気に耐えられなくて帰ったらすぐベッドでモネと寝た。

 

8月31日

生理で相変わらず眠気とだるさが半端ない。ずっとベッドで横たわっていたいのだけど、午後から頑張って野口整体へ。

整体後はスッとだるさが軽減し、前回と同じように行きしなよりずっと楽に歩いて帰れた。帰ってからもまだ余力があったのでモネの散歩にも行けた。ぐっと上がっていた左の骨盤が少し下がってきているとのこと。

 


 

 

 

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8月26日、28日

8月26日

 

午後からフェルデンクライスメソッドのATMレッスンへ。FIレッスンも合わせると今日で3回目。レッスン後は、足腰がしっかりし首がすっと伸び、いつもよりずっと心地よく歩くことができた。意識せずとも息が胸の奥深くまで入ってきて心地いい。グラグラして折れそうになってた自分の内の軸が太くしっかりした気がする。

 

そういえば週の半分は、骨が割れるような腰痛や、体の表面全体がびりびりする「アロディニア」に襲われるのだけど、この1か月はそれが数回しか起こっていない。フェルデンクライスメソッド野口整体が効いているのだろう。これをしばらく続けて、いつか痛み止めの点滴とさよならできたらいいのに。

 

痛みだけではなく、長年の課題だった疲労感が玉ねぎの皮を剝ぐくらいなのだけど薄くなった気がする。「慢性疲労症候群」である私は、長年、体のすべてのパーツに鉛の重りを付けられて、それをぶら下げながら動いているようだった。少し家事をしたり出かけたり、普通の人なら何ともない動作をしただけでぐったりし、体を立てていること自体が困難になる。もうこうなると、ベッドでしばらく横にならないと復活しない。しばらく寝て復帰して、また用事をして寝てと、まるですぐ充電切れになり一日何回もケーブルに差し込まなければならないポンコツスマホのような体。そんな体に付いている鉛の重さが最近ほんの少しだけ軽くなり、寝込む時間もほんの少しだけ減っている。

 

もう一つの変化は、体のパーツがしなやかに連続して動きだしたことだ。今までは、体を動かそうとするとぎくしゃくしまるでオイルがきれたロボットを操縦しているようだった。医師に相談すると、神妙な顔をしながら「脊椎関節炎という自己免疫疾患の疑いがありますね。これは骨がどんどん固くなる病気だから仕方がないです。」と繰り返す。「骨が固くなる」という言葉に絶望していたのだけど、最近は骨盤や腰がうまく協力しあいながら動いてくれてるし、背骨が左右前後色んな方向に動いている。首の後ろが痛んで少ししか上を向くことができず、”脊椎関節炎”なのだから仕方がないと自分に言い聞かせていたのだけど、最近は胸の胸骨、肋骨や背骨がしなやかに反り、以前よりグーンと上に向き天井を見上げることができるようになった。「首に上にあげる」という動作は、首単体でしているのではなくて、胸骨、肋骨や背骨もたくさん協力することでできるんだ。どうも、私の骨は全然固くなっていないようだ。というかむしろ良くなっているではないか。医師の話は、話半分で聞いといたほうだいいだろう。

 

ATMで色んな動きをして気づいたのだけど、体は実際には動かしていなくとも、意図しただけで体の深い場所は既に動いている。私が動きたいと思った瞬間に動く体の深いところの方向と、意思に反してこう動かなければならないと体を無理やり操作したときの方向、その二つに乖離が起こったとき、パーツがバラバラになってしまい、それが痛みになるのかもしれない。

 

8月28日

ここ数日、急に晴れの日が続いてまた暑くなった。朝、モネの散歩に行くと草むらから微かに秋の虫の声が聞こえているのに夏がぶり返したよう。

 

今週は月曜日に点滴、火曜に野口整体、木曜にフェルデンクライスメソッド、金曜に不動産屋と、水曜以外は毎日外出していたので少し疲れてしまった。体がだるくて足も痛み頭痛も若干悪化した。自殺未遂前は週に2,3 回の点滴しか外出してなかったから、急にこんなに出歩いて後でこたえないか不安。来週はあまり予定を入れないでおこうと思う。

 

今日は家で休みたかったのだけど、左首から左耳の奥にかけてキリキリと刺すように痛むので、めんどくさいけど点滴に行く。この耳の痛みというのはとても厄介で、悪化すると目眩がしてきて立ち上がれなくなってしまうから今日は仕方ない。

 

昨日、とても珍しく家族以外からLINE。「くりこさん、Twitterを辞められたようですが大丈夫ですか?九月に話しませんか?」とHさんから。自殺未遂したことは救急車を呼んだ知人以外は知らなかったのだけど、七月に彼女とLINEで話した時言ってしまったので今のところ2人が知っていることになる。その後特に連絡をとってなかったのでもう忘れてるか、もしくは関わりたくないから距離を置かれているのだと思っていたのだけど、私のことを覚えていてくれて、かつ連絡をくれることに凄くびっくりしたし嬉しかった。

 

哲学対話の件で大量に私から人が去って、その後の自殺未遂でまた去った。みんなが私に背中を向けて去っていくのを見ていたら、もう外の世界の誰とも繋がってないと思ってた。きっと今私が死んでも、家族以外誰も気づかないだろうし、気づいてもみんな背中を向けたまま無反応だろうと思っていたけど、そんなことも無いのかもしれない。

 

夕ご飯を食べながら「○○さんからLINEが来て、今度会って話してもいい?」と思い切って母に尋ねてみたけど、案の定ダメだった。母は、コロナになるかもしれないから出来るだけ私を人と接触させたくないようだ。

「今でさえ、フェルデンクライスとか整体で人と会ってるから。もうこれ以上はやめとこう」と諭された。ここで私の意思を通そうとすると大変なことになってしまうので、譲歩した方がいいと学習している私は素直に頷いた。母は「くりちゃんが、そうやって話してくれてうれしい」と笑っていたけど、話さずに内緒で人と会ったらどれだけ大変な目に合うか知っている。全部、この家で生き延びるために学習してやっているだけだ。憂鬱な気持ちでHさんに断りのlineを入れた。こうやっているうちに色んな人と疎遠になってしまうことも知っている。

 

「もしコロナになったら点滴ができないのよ」「もし家族にうつして死んだらどうするの」という母の言葉で私の体は身動きが取れなくなってしまう。この家族という集団をコロナから守るために、家族がしてほしいことは、私がしたいことより優先される。lineの画面をみながら、Hさんと会う日なんて来ないんじゃないかという気持ちになってくる。時代をさかのぼれば、障がい者は家で監禁されていた。あれだって家族は本人のためだと思ってたのだ。

 

 

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8月23日、8月24日

8月23日

雨は降っていないがまだどんよりした天気が続いてる。午前10時くらいに家を出て、いつものクリニックに痛み止めの点滴を受けに行った。本当は午後にゆっくり行きたいのだけど、2年前に主治医が体調を壊し、午前しか病院に顔を出さなくなったため、点滴も午前しか受けられなくなってしまった。午後は副院長がいるのだけど、彼は線維筋痛症の人の点滴を一切したがらず、一度間違えて午後に点滴に行ってしまったとき、こっぴどく叱られたことがある。

 

長年「患者」をして分かった一番大切なこと、それはとにかく医者の機嫌を損ねないということだ。特に私のように、他でなかなか診てもらうことのできない病人にとっては、もし医師との関係がぎくしゃくして通えなくなったら一大事だ。しかし、もし主治医が病院にいつか出てこなくなってしまったら一体どうしたらいいのだろう。今のクリニックは通えなくなるし、私の足で通える範囲にある線維筋痛症を専門に診る病院はどこも評判が悪い。

 

30分ほどクーラーの効いた地下鉄に揺られ、その後ひんやりした点滴を受けると、ニットのセーターが欲しいくらい体が冷え切ってしまう。会計を待ちながら待合室の、LEDライトの照明を反射するよく磨かれた机や、そこに静かに置かれる造花、ごみ一つない絨毯、真っ白なソファが陳列され、じっと押し黙って自分の名前が呼ばれるのをひたすら待つ患者さん達をじっと見る。彼ら、彼女らはこの待合室にとてもしっくりくるように患者役を引き受けている。そして私だってそうなのだ。体が冷え切ってしまうのは、電車や点滴だけのせいではなさそうだ。

 

点滴を受けても、数日前から続く胸の痛みはよくならなかった。息を吸い、肋骨当たりが広がるたびに鈍痛が走る。不穏な気分にさせる記憶ばかりが脳裏に映り、帰りの電車に揺られながら記憶がどんどん私を追い詰めていった。こうなるとますます胸の痛みは刻印のようにしっかりと刻まれて、本を読んでも音楽を聴いても、痛みが私を支配して逃れなくなってくる。痛いから記憶を呼び覚ますのか、記憶のせいで痛むのか、どちらが先かは分からない。

 

8月24日

いつものごとく6時半に起床し、モネと散歩。途中、コンビニ前の人通りの多い歩道のど真ん中でスズメが横たわっていた。目をつぶり、足がピンと伸びているのを見ると死んでいるようだったが、羽はきれいに整ってつやつやしてる。小さなアリたちが、亡骸の下に滑り込むように列をなしていた。もしかして、この鳥をみんなで巣まで運ぶつもりなのだろうか。きっとこのままでは人に踏まれてしまうだろうと思い、そっと亡骸を右手で掴んで歩道の脇に寄せた。思ったよりずっと柔らかく、去年ウサギのベルが死んだ後もまるで死んでいないように毛がふわふわしていたことを思い出した。

 

午後から、予約していた野口整体に行ってみた。以前から名前は知っていて興味はあったのだけど、今まで病院の点滴で何とかなるだろうとずっと行くことを後回し後回しにしているうちに何年もたってしまった。何年も薬物療法を熱心にしているが、ずっと痛みと薬の鼬ごっこでもういい加減疲れてる。何か違う方向に舵を切り少しでも薬が減らないかと行くことにしたのだった。

 

電車に揺られて30分程度、そこから長い商店街を抜けて、右に曲がれば整体院に着く。歩いて10分か15分くらいの距離なのだが、商店街をまっすぐまっすぐ歩いているだけで途中からどっと疲れてしまって足が重くなり、重い体を引きずるようになんとか整体院に着いた。整体院のドアを開けると、目前の受付から男性に「〇〇さんですか?」と声をかけられた。どうも、この人が整体の先生のようだ。中に招き入れられるとだだっ広い真四角の部屋の隅っこに、一段高くしてある3畳ほどの畳の施術室が目に入った。「どうぞこちらに上がってください」と施術室に招かれ、互いに正座で向かい合わせになりながら、頭や体中が痛いこと、胸が詰まっている感じがして苦しいこと、夜よく眠れないでいることなど、今ある症状をざっと話した。先生の後ろにおいてあるぺペロミアがとても生き生き育っていてかわいい。話し終わるとうつ伏せになるよう促され、左右の腰をチェックしてもらうところから施術はスタートした。

 

「体の左は交感神経で、右は副交感神経が関係しているんです。今、右が下がって左が上がってますね。右が上がると交感神経が優位になってしまうんですよ。今、体の左が得に痛いんじゃないですか」。

「そうなんです、頭も首も、背中も、あと足も、左がずっと痛くて。特に首が曲がらないくらい痛くなることがあるんです」

「今日は左右のバランスを整えていきますね。一度バランスが整ってしまえば体は勝手に治っていきますから」

 

大体1時間くらい施術を受けた。ちょっと痛いときもあったのだけど、施術後は確かに自分でもわかるくらい左の肩が下がっていた。あと腰のバランスが整ったせいか腰痛も半減している。胸郭が柔らかくなって息が吸いやすくなり昨日まであんなに苦しんで私を憂鬱にさせていた胸の痛みがずっと良くなった。

 

会計を済ませて、また商店街を歩く。行きしなよりずっと足が動きやすくて、あんなに長く感じていた商店街は、実はずっと短かかった。

 

帰ってゆっくり本を読んでみる。いつもよりずっと心が穏やかで静かだ。いつも音が聴こえそうなくらいキリキリする左半身も静かに落ち着き払っていた。自殺未遂後から、家の中でさえ音や大声がきっかけになって過去に引き戻されていたのだけど、今はしっかり地に足がついていてゆったり構えていられるようだった。

 

フェルデンクライスメソッドのFIを受けた時も同じように気持ちが安定し、普段すぐ私の背後に迫りくる死にたさがずっと遠くに離れていることを感じた。今までは、気分の落ち込みに対し、医師に薬を処方してもらっていたけども、どうも薬で対処するより体を変える方がずっといいようだ。

 

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8月18日

8月18日

今日も朝からどんよりした天気。ずっと低気圧が続いてるせいで、最近体が重くて仕方がない。

 

午前はメンタルクリニックの予約が入っていたので、家で休んでいたい気持ちを振り切り、地下鉄に乗り込んだ。電車が数分数分毎に駅に着くたびに、大量の人々が吸引されるように乗り込んでくる。体調の悪い時は、人の密度が高くなるにつれて呼吸がしにくくなってしまうので、イヤホンでできるだけアップテンポの洋楽を聞いて気を紛らわせてた。

 

メンタルクリニックの診察室で、パソコンモニターの向いにいる医師に、最近の体調を報告する。開け放たれた窓から部屋に充満する道路の喧噪に声をかき消されないように、医師が打つキーボードの乾いた音を聞きながら、いつもより少し大きな声で話をした。

 

「では」と、医師が初めて私のほうに体を向けた。

「いつもの薬を出しておきますので」

あんまり今の薬が効いているのかもわからなかったけど、どれも飲んでも一緒だろうという諦めもあり、「ありがとうございました」と黙って診察室を出た。

 

待合室で会計を待っていると、診察に入る前よりずっと気分がふさぎ込み、勝手に涙が溢れてきた。診察室で「集中治療室で意識のなかった3日間が一番幸せだったと思います」とネガティブなことを口にしたのが良くなかったのかもしれない。ついさっきより、私の背後に死が寄り添って、死ぬことしか考えられなくなってしまった。帰り道にあったドラックストアの鎮痛剤や風邪薬のコーナーに直行し、ラベルを片っ端からチェックする。60錠1500円、60錠1890円・・・。しかし、今これを沢山購入してもホテル代が余らない。あの日から私はクレジットカードもキャッシュカードも取り上げられていて少しの現金しか持たされていないのだ。諦めて店を出た後も、私の頭は死ぬことから逃れられないでいた。もうこうなったら、考えないようにしよう!ということは私に通じない。本当は、道に蹲って大声で泣きたい気分なのだけど、変に頭は冷静で、いまだ黙々と死についての計画が練られている。

 

地下街の人込みに紛れながらも、このまま私の足がひとりでに死に向かっているのではないかと不安になり、とりあえず目に入った雑貨屋さんに飛び込んでみた。お行儀よく陳列された色とりどりのアクセサリーに照明が反射してまぶしかった。ふと目前にあるピアスに手を伸ばすと、ほんの少しだけだけど死が遠のいてくれたから、そのまま20分ほどピアスを真剣に物色し、一番かわいいピアスを買った。店先で大急ぎで包装紙を開けてピアスを付けてみて、手鏡をのぞき込む。小さくゴールドに光ってるピアスが耳元で揺れるのを見ていると、今日は何とか生き延びられそうな気がしてきたので、そのままいつもの病院に行って痛み止めの点滴を打って帰った。

8月14,15日

8月14日

ここ3日ほどずっと雨が降っていて体が痛い。向かいのマンションが、白くかすんで見えるほどの大雨だ。低気圧が近づいてくるだけで、私の頭はどんよりし、背中や腰などが痛みだす。もう12年もこの症状と付き合っていて雨の日はエンジンがかからない。

 

かなり初心者でも受かると噂されている、あるペット系ウエブメディアのライターに応募していたのだが、昨日不合格のメールが届いていた。気合いを入れた力作だったのだがなぜだろう。ああいったスマホでサクサク読めるメディアには合わない文章だったのかもしれない。どちらにしろ、治療費や将来に備えて何とか稼がなければならないのにショック。

 

朝、ライターに落選してしまったことから、仕事どうしようと不安になりだし、更には将来の一人暮らしがこんな体調なのにうまくいくだろうかと不安が不安を呼んで、また胸がひりひりしだしてきつかった。

 

もともと私の家は重度障害の家族を抱えながら生活し、互いの密度が高かった。自分で何もできない伯母を祖母が中心に介護してしていくうちに、みんなが互いの顔色を伺いながら先回りして行動することがルールになっていた。みんなが自分がしたいことを抑え「あなたのために」先回り行動をしていると、その分相手への期待が強くなって、いつの間にか誰かが誰かを支配する関係に代わってしまう。最も一番支配されていたのは一番立場の弱かった伯母だった。

 

4年前に伯母が亡くなって、いつの間にか伯母のポジションが私が入っていた。家族はみんな私のために手助けしてくれている。しかし、それが私の境界を踏み越えて自由が阻害され息が詰まりそうになる。

 

病気で無職で一人暮らしするので、生活保護を受けたいのだが、生活保護での生活というのはとても大変だと思う。そもそも役所に何度か相談しても、冷たくあしらわれていて貰えるかどうかもわからないのだが。

 

先を少し覗いてみると真っ暗で、足が竦んでしまってどう動けばいいのかわからなくなってしまう。

 

 

8月15日

 

最近少しメンタルの調子が落ち着いてきたと思っていたのだが、昨夜、母の何気ない一言でまた過去に引き戻されて、自殺未遂前に感じてた逃げ場のない切羽詰まった恐怖感に襲われた。

 

胸のあたりが一気に苦しくなり詰まってきたと思ったら、その詰まりがどんどん喉のあたりに上がってきて、それが涙となって堰を切ったように流れ出てきたので、自室にこもってティッシュで鼻水をかみながらベッドに蹲っていた。

 

モネは最近、私が泣き出すとすぐ膝に来る。昨日も私が泣きながら自室に篭ろうとすると一緒に入ってきていつものように膝に乗った。不思議と少し重くて暖かいモネが膝にどっしり乗ってると、「今ここ」に私は戻ってきて、徐々に呼吸が落ち着き泣き止むことができる。その後、母が部屋にプリンとコーヒーを持ってきたので、食べたら何とか落ち着いて、寝込まずに済んだ。

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某メンタリストの炎上から

自室で勉強していると、伯母の泣き叫ぶ声がして思わず体に緊張が走る。続いて祖母のヒステリックな声と、伯母を叩く音。うるさくて勉強どころではなくなり、そっとリビングの扉を開けると、ガラスが割れんばかりの泣き声が耳の鼓膜をびりびりさせた。伯母がかんしゃくを起こすといつもこう。彼女は重度心身障碍者で、定期的にかんしゃくを起こしていた。体を自由に動かすことのできない伯母のお風呂、トイレ、ごはん、全ての介護を担っていた祖母はいつも追い詰められ不機嫌そうだった。今でいうところの介護ノイローゼという状態なのだろう。伯母がかんしゃくを起こすと誰がどう宥めようが手に負えなくなっていた。どんどんエスカレートする泣き声に、祖母も自分のコントロールを失って、つい手が出てしまう。子供だった私は、伯母の泣き声と、祖母が伯母を叩く音を体中に浴びながら部屋の片隅でただただ小さくなって体をこわばらせることしかできなかった。

 

16の時、私は高専の土木工学科に進学した。土木工学は親の勧めであり、あまり気乗りしないものであったのだが、先生たちが入学直後から繰り返す言葉に鼓舞されて、急に勉強に打ち込むようになった。「あなた方は、この国を担う立派なエンジニアになるのです!」、その言葉は無力で何もできずにいた子供の私に急に価値を与えてくれた。こんな私でも立派に、役に立つ人間になれるのだ、と。おかげで高専の頃の成績は常に上位で皆から一目置かれていた。

 

その頃だっただろうか、急に伯母は生きている価値があるのだろうか、と考え出した。それと同時に、とてもやばいことを考えているのではないかと思って、大急ぎでカウンセリングというものに行ってみた。はじめてのカウンセリングで、斜め向かいのソファに座ったカウンセラーに「伯母って生きている価値、あるんでしょうか」と問うてみた。彼女はとても困った顔をして「それは・・・あると思うよ?」と答えただけだった。私は彼女の表情を見て、二度とこの話は人にするまいと決意した。

 

今考えると、私はあの時、不安の塊だったのだろう。急に自分が役に立つ人間だと錯覚し始め、そうでない伯母を見下した。人間の命に価値を付けることによって自分が優位に立ち不安を打ち消したかったのだ。

 

マーティンルーサーキングジュニアの師であったモアハウス大学のジョージケルシーは人種差別を一つの宗教であると批判する。

「信仰としての人種差別は偶像崇拝の一形態である。というのは、人種差別は人間的な要素を究極的なもののレベルにまで引き上げるからである。人種差別の神は人種であり、それが価値の究極的な中心なのである。・・・・人種差別者にとって人種とは決断や行動の最終的な典拠であり、人種という基盤の上に私生活、公共の制度や政策、そして宗教制度すらも形成されるのである。・・・」

 

多くの人が昔から行っている、人の命に価値を付け序列をつけたがる行為も宗教と同じではないだろうか。私たちはただ生まれて死ぬだけで、「価値」というのは社会の作った概念にすぎない。しかし、心の不安を解消するために、人の命を価値という定規に照らし合わせ、何とかして優位に立とうと試みる。そんなもの、社会の外側に放り出されてしまえば意味がないことなのに。今も多くの人が入信していることも気づかずこの宗教を信仰している。

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