モネを捨てた日

f:id:Kuriko-s:20210803101818j:plain海外には「ガン探知犬」という、ガンを患った人が発する微細なにおいをキャッチし人に教えるよう訓練された犬がいるらしい。犬の嗅覚は人の1万倍とも言われているから、ガンや他の病気による匂いの変化に気づくことは犬にとって難しいことではないのであろう。きっと訓練されてない犬も、人に教えないだけで匂いの変化には気づいているはずだ。

 

6月に私が自殺未遂をしてから、モネの調子がよくない。いつもひっきりなしに私の顔を上目遣いで伺うように覗き込み、以前よりずっと私の膝で丸くなる時間が増えた。

 

あの日、病院に行くと嘘をついて、貯めていた薬を一番大きなカバンに詰め込んだ。モネは私が家を出るときは、玄関先で大きな瞳でまっすぐ私を見つめお座りし、私を見送ってくれる。あの日も「病院に行ってくるね」といつも通りの言葉をモネにかけたのだが、私を見送るモネの様子はいつもと違い、落ち着かない様子でうろうろしながらピーピー鼻を鳴らしていた。この子はきっと知っている、そう感じながらも、そのままモネに背中を向けて、私は彼をあの瞬間捨てたのだった。

 

私は6月19日から1週間入院していた。その間、彼は私のベッドでずっと寝そべるか、玄関に座って動こうとしなかったらしい。モネにとってそれまで私が一番のパートナーだった。私にとってもモネが一番のパートナーだった。犬はパートナーである人間を置いてどこかに行ったり決してしないけど、人は一番のパートナーである犬を置いていく。

 

私はこの4年間、モネと散歩したり一緒に寝たり遊んだり、二人で過ごす時間によって体調がぐっとよくなり、車いすのレンタルもしなくてよくなった。この子が死ぬまでは生きていようと思っていた。しかしあっさりあの時私はモネを捨てた。

 

「ガン探知犬」のように、私から放たれる匂いがあの日からすっかり変わってしまったのかもしれない。以前のモネはアーモンドのような目をキラキラさせて口角を挙げてよく笑う子だった。今は私もモネも、うまく笑うことができなくなって、二人でずっと不安を抱えあいながらくっ付いて過ごしてる。

 

開け放した窓からセミの鳴き声が喧しく降ってくる。あの日はまだセミは一匹も鳴いていなかった。こんなに時間がたったにも関わらずあの日のことがまるで昨日のことのように感じられるのは何故なのだろう。

テレビをつければ、コロナ、緊急事態宣言、変異株は怖いです皆さんできるだけ家にいてください、緊張した面持ちでニュースキャスターが喋ってる、五輪、メダル、〇〇選手おめでとうございます!、満面の笑顔でインタビューに応じる選手、テレビの脇にある鏡には、顔色が悪くげっそりした私が映ってた。


あの日から私の時間は完全に停滞してどんよりした時空をずっと彷徨っている。ここを何とかサバイブして小さな風穴を開けられたならば、モネも私もまた笑える日が来ると信じ書いている。

 

 

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光源

6月19日、私は薬を大量服用し死のうとしたのだが、何故か生きのびた。

 

そこから、ここ二カ月ほど、道を歩いていても電車に乗っていても人混みに紛れていても店をうろうろしていても、私だけ世界から分離されていてしっくりこない。

 

頭痛と共鳴するセミの声、イライラを振りまく車のクラクション、私を刺してくる熱を帯びた太陽の光、向こうのアスファルトの上でゆらゆらしている蜃気楼、決して入ることができない人々の笑い声、そういったものすべてに一々圧倒されてしまって立っていることができなくなって、道端で膝を抱えた私はだんだん小さくなって、いつか人混みに潰されてしまいそう。

 

だから外出する際は、常にイヤホンを耳に突っ込んでいる。大音量でアップテンポの洋楽を聞いて、世界と私を分離させているのだ。これで何とか、病院まではたどり着くことができる。

不意に怒鳴り声や救急車のサイレンの音が聞こえて、過去に引き戻されることも防ぐことができる。

 

こないだカウンセリングを受けた時、彼が言った言葉に拍子抜けした。

「今はとにかく何か考え込んだり解決しようとしないでいいです。この1週間、2週間、1か月、生きのびるためだけに時間を使ってください」

 

「生きのびるためだけに時間を使え」なんて考えたこともなかったからびっくりしたし、そんなことが許されるとも知らなかった。その日から今日で5日、私は何とか生き延びた。

 

昨日、病院に行った際、ふいにネイルをしてみてはどうだろうと思い立ち、点滴の輸液につながれている間、スマホでネイルサロンのカタログを眺めてた。会計を済ませると、そのまま帰り道にあるドラックストアに吸い込まれ、ピンクの偏光パールのネイルを買った。

 

私は、昔からあまりネイルを塗らない。動物や植物を沢山世話していると、どうしてもネイルが剥げやすいからだ。どうせ塗っても、という思いが先立って塗ろうとも思わなかった。

 

家に帰ってさっそく何年かぶりにネイルを塗ってみることにした。蓋を開けると、ツンとした匂いが鼻につく。その匂いは、小さい頃、母と美容院Sに通って、母のカットやカラーやパーマが終わるのをずっと待っていた待合の椅子に私を連れて行った。その美容院では卓上にメイクやネイルがたんまり置いてあって好きに使っていいシステムだった。綺麗にそろえて置いてある色とりどりのネイルに魅せられ、子供好きで優しかった美容師Tさんに塗り方を教えてもらいながら、自分の小さな爪にネイルを塗って遊んでいた。

 

ネイルを塗りながらふと、またTさんに髪を切ってもらいたいなと思った。私は17歳くらいまでSに通って、ずっとTさんに髪を切ってもらっていたのだけど、その後独立し彼とは会えなくなった。暫くして、Sのオーナーから、Tさんはメンタルの調子を崩したためもう美容師はしてないという噂を聞いた。

 

全部の爪にネイルを塗ってみると、思ったよりずっとピンクが濃くて指先が急に派手になった。細かなピンクの粒子が光の当たる角度によってゴールドに見えるのも素敵だった。指先をしばらくパタパタさせて乾燥させる。そろそろいいかなと思って、静かに爪に触れてみると、ネイルのつるつるした質感にずっと指先を撫でていたくなる。少しだけ体の力みが緩まるのを感じた。

 

ここ最近夕方から夜にかけて、日常に映り込む死の影がくっきり濃くなってきて、毎日泣いてしまうのだけど、昨日はちょっとしか泣かなかった。ベッドにただただ横たわりながらカーテンの隙間から差し込む夕日に指先をかざすと、夕日に反射したピンクやゴールドが死の影を薄くしてくれた。

私は、何も考えないで、何も解決しようと試みないで、ただ生きのびるためだけにずっと爪から小さく放たれる光を覗いてた。

 

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哲学対話『最高の死をデザインしたいか』 エッセイVol.1

ネット上に今も据えてある謝罪文の記憶で私は目を覚ます。カーテン越しの外は真っ暗で、同じベッドで寝ている犬の寝息が聞こえてくる。時計を見るとまだ3時半。目覚まし時計が鳴るまでにはまだまだ時間がある。「勇気をもって問題提起してくださったご参加者さま、ありがとうございました」。「改めて哲学対話の怖さと素晴らしさを体感することができたように感じています」。目を閉じもう一度眠ろうと努力してみるのだが、謝罪文の文言が私を睡眠に落ちることを許さない。カーテンの隙間から白み始めた空が部屋に充満し、だんだん明るくなってくる天井をぼんやりと見つめていると、目覚まし時計のベルが私の頭痛をガン!!と直撃した。

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2021年3月29日

ツイッターでこの哲学対話の案内を見て、10分位遅れて入った。「最高の死をデザインしたいか」というタイトルにうっすら優生思想の匂いを感じながらも、去年違う哲学カフェで安楽死をテーマにした対話に参加してとても良かったことを思い出し、参加してみたのだった。

 

参加したとたん、某氏が冒頭に発言した、「高齢で寝たきりになりチューブだらけになるならば、モルヒネとか使って安楽死がしたい」という言葉は私の首にナイフを突きつけた。私の抱える線維筋痛症は、安楽死の対象になっている国もある。また、安楽死は優生思想と結びついて、命の選別として今日も稼働している。いつも待合で一緒になる同じ病のBさんのことを思い出した。彼女は最近寝たきりになってしまったのだが私だっていつそうなるか分からない。

 

哲学対話の「自分の経験を話す」というルールに乗っ取って、私が病気であることを言うべきだったのかもしれないが、知らない人ばかりの間で私自身の病気を言い出すのは気が引けた。しかし、このナイフを退けてもらわないまま退出するのも嫌だった。暫く考えこんだ後こう切り出してみることにした。「モルヒネは緩和ケアにも使われています。緩和ケアと安楽死を混同していませんか?」。確認するとやはり彼女はその違いも分からず発言していたようで、何も知識のないままこんなテーマの対話が進むことにぞっとした。その後急いで私は「死をデザインすると、障害や病気の人が生きづらくなるのではないか?」という問いを立てた。安易に優生思想に加担する発言が出ないように予防線を張ったのだ。それと同時に彼女の発言がどういうことを意味するか自らに問いかけて欲しかった。

 

前半は出生前診断、優生思想、安楽死合法化されている国で「すべり坂」が起こっていることなどを私がひたすら話していた。彼女が私の首に立てたナイフをとにかく退けて欲しかったから。その後、「毎日死にたくなってしまう」と発言する方が居て対話の流れが不穏になってきた。ある参加者が直後に「もし僕らが死にたくなってしまうのならば、それはどのような力が働いているのだろうか」という問を立ててくれたおかげで、流れが変わったのを覚えている。

 

後半、「話が難しくなった」と2,3人の人が言っていた。哲学対話は知識語りをしてはならないことになっているが私はひたすら知識を話しておりきっとそれがまずかったのだろう。どれだけ頑張っても冒頭に必死に私が立てた問は拾われることが無く、疲労感がどっと押し寄せ終了30分前に退出した。哲学対話中、知識語りをする裏でずっと私はこう叫んでいた。「私は病気当事者です。安楽死は優生思想と一緒になって稼働しています。あなたの容易な安楽死発言で私は脅威にさらされました。」退出後、ぐったりしながらお風呂に入った。首にうっすら冷たいナイフの感覚が残ってた。

 

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「死をデザインすると障害や病気の人が生きづらくなるのではないか」というあの問は私にとっての必死のくい打ちだった。安易な安楽死発言がそのまま流れに流されて、更に他の人にも伝播し、哲学対話の外にこぼれ出て、日常にどっとあふれ出さないように。哲学対話中誰からも応答はなくて、未だこの問は宙に浮いたままでいる。身体に染みついた優生思想は、染みついたことも気づかれないまま、今日も人々を命の選別に駆り立てる。流れに逆らって「問を立てる」「それに応答する」という行為は、今にもかき消されそうになっている人々の命に我々がどう応答できるか試される行為なのではないだろうか。

 

 

 

 

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アパートメント短期滞在分の記事

webメディアのアパートメントで4月から「解放」をテーマに連載いたしました。

8本分の原稿をこちらにまとめます。

来月からは毎月5日、月1本のペースで書いていこうと思っています。

 

 


 

 

 

 

 

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