光源

6月19日、私は薬を大量服用し死のうとしたのだが、何故か生きのびた。

 

そこから、ここ二カ月ほど、道を歩いていても電車に乗っていても人混みに紛れていても店をうろうろしていても、私だけ世界から分離されていてしっくりこない。

 

頭痛と共鳴するセミの声、イライラを振りまく車のクラクション、私を刺してくる熱を帯びた太陽の光、向こうのアスファルトの上でゆらゆらしている蜃気楼、決して入ることができない人々の笑い声、そういったものすべてに一々圧倒されてしまって立っていることができなくなって、道端で膝を抱えた私はだんだん小さくなって、いつか人混みに潰されてしまいそう。

 

だから外出する際は、常にイヤホンを耳に突っ込んでいる。大音量でアップテンポの洋楽を聞いて、世界と私を分離させているのだ。これで何とか、病院まではたどり着くことができる。

不意に怒鳴り声や救急車のサイレンの音が聞こえて、過去に引き戻されることも防ぐことができる。

 

こないだカウンセリングを受けた時、彼が言った言葉に拍子抜けした。

「今はとにかく何か考え込んだり解決しようとしないでいいです。この1週間、2週間、1か月、生きのびるためだけに時間を使ってください」

 

「生きのびるためだけに時間を使え」なんて考えたこともなかったからびっくりしたし、そんなことが許されるとも知らなかった。その日から今日で5日、私は何とか生き延びた。

 

昨日、病院に行った際、ふいにネイルをしてみてはどうだろうと思い立ち、点滴の輸液につながれている間、スマホでネイルサロンのカタログを眺めてた。会計を済ませると、そのまま帰り道にあるドラックストアに吸い込まれ、ピンクの偏光パールのネイルを買った。

 

私は、昔からあまりネイルを塗らない。動物や植物を沢山世話していると、どうしてもネイルが剥げやすいからだ。どうせ塗っても、という思いが先立って塗ろうとも思わなかった。

 

家に帰ってさっそく何年かぶりにネイルを塗ってみることにした。蓋を開けると、ツンとした匂いが鼻につく。その匂いは、小さい頃、母と美容院Sに通って、母のカットやカラーやパーマが終わるのをずっと待っていた待合の椅子に私を連れて行った。その美容院では卓上にメイクやネイルがたんまり置いてあって好きに使っていいシステムだった。綺麗にそろえて置いてある色とりどりのネイルに魅せられ、子供好きで優しかった美容師Tさんに塗り方を教えてもらいながら、自分の小さな爪にネイルを塗って遊んでいた。

 

ネイルを塗りながらふと、またTさんに髪を切ってもらいたいなと思った。私は17歳くらいまでSに通って、ずっとTさんに髪を切ってもらっていたのだけど、その後独立し彼とは会えなくなった。暫くして、Sのオーナーから、Tさんはメンタルの調子を崩したためもう美容師はしてないという噂を聞いた。

 

全部の爪にネイルを塗ってみると、思ったよりずっとピンクが濃くて指先が急に派手になった。細かなピンクの粒子が光の当たる角度によってゴールドに見えるのも素敵だった。指先をしばらくパタパタさせて乾燥させる。そろそろいいかなと思って、静かに爪に触れてみると、ネイルのつるつるした質感にずっと指先を撫でていたくなる。少しだけ体の力みが緩まるのを感じた。

 

ここ最近夕方から夜にかけて、日常に映り込む死の影がくっきり濃くなってきて、毎日泣いてしまうのだけど、昨日はちょっとしか泣かなかった。ベッドにただただ横たわりながらカーテンの隙間から差し込む夕日に指先をかざすと、夕日に反射したピンクやゴールドが死の影を薄くしてくれた。

私は、何も考えないで、何も解決しようと試みないで、ただ生きのびるためだけにずっと爪から小さく放たれる光を覗いてた。

 

OFUSEする